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和文化と食コラム:豆らくがんの話



海生堂古事:豆らくがんの話

 どうして昆布屋に豆らくがんがあるの?というご質問をたびたびいただきます。
豆らくがんの原材料をみても、「昆布」の文字はたしかにみえません。

 かつて、敦賀の港に昆布と共に大量に陸揚げされていたのが、大豆。徳川末期、この大豆を活用できないかと知恵がしぼられた末、浅草の菓子職人より製法を伝授されつくられたのが「豆らくがん」です。福々しくもどこか愛らしいその面貌は、記紀にも語られる由緒ある神社、敦賀は氣比神宮の御祭神、神功皇后を象ったものとつたえられています。弊舗では、明治四〇年ごろに、この「豆らくがん」の販売を開始

豆らくがん 特に、日本でもいちはやく鉄道が敷設された北陸線の発祥駅、敦賀駅頭での販売が人気を呼び、一躍、「敦賀名物・豆らくがん」と呼ばれるようになりました。年を経て、豆らくがんの謂れを語る人は減りましたが、素朴な甘さはかわらず、御贔屓を頂いております。

 大豆と砂糖、水飴のみを原料として、一晩じっくり炭火で焼きしめる昔ながらの製法。
 手づくりの良さをそのまま今に伝えております。素朴ながら、伝統を味わえるお菓子です。


     

一つ一つ手作りで、炭火で一晩じっくり焙炉してお作りしております。
詳しい作り方と商品ご購入ページはこちらから
豆らくがん
→http://www.konbu.co.jp/shop/cart/detail.aspx?id=364


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