蔵囲昆布

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蔵囲昆布について : 敦賀で生まれた蔵囲昆布


 
 奥井海生堂で扱う昆布は、4ヶ所(地元敦賀に3ヶ所・北海道に1ヶ所)の昆布倉庫で、厳重に管理、保管され出荷されています。特に利尻島、礼文島で収穫される天然利尻昆布は、昔から『蔵囲昆布』と呼ばれ、専用の昆布蔵で1年から2年、3年と寝かされ、昆布臭や磯臭さを取り除き、うま味を増す『蔵囲昆布』に仕立て出荷されます。ほとんどが京都をはじめとする全国の高級料亭のだし昆布として、又、大本山永平寺をはじめ全国の僧堂の精進料理のだし昆布として御用をいただいております。


 年度産の木札がかけられた香深昆布  むしろにおおわれた蔵囲昆布
 贅沢に時間をかけて作られる「蔵囲昆布」。
カーヴで悠久の時を過ごすワインと似ています。




昆布流通の背景
 昆布の収穫地は日本の最北端、北海道。流通の技術が未発達であった時代、千数百キロ離れた昆布の一大消費地、関西へ運ぶ事は大変な仕事でした。特に、海路で東北の太平洋側の厳しい気象条件をクリアするのは至難の技。そのため、海の静かな日本海側がもっぱら北海道と関西を結ぶ交易路として発達してきます。 

 北海道から運ばれた昆布が荷揚げされたのが、敦賀港です。
 越前、若狭の中心、敦賀港は背後に国内最大の湖、琵琶湖をひかえます。荷揚げされる物資は陸路、琵琶湖の北岸、海津、今津へと運ばれ、丸子船と呼ばれる和船に積みかえられ、大津、堅田を経由し都へと運ばれました。江戸時代の最盛期には、琵琶湖では1,400艘の丸子船が活躍していました。
明治初期の引札
 北海道と関西を拠点に、日本海沿岸の諸藩を結んだ交易は、江戸時代には最北の藩であった松前藩が取り仕切ることから、松前交易と呼ばれました。近代日本以前の唯一、最大の交易路でした。

蔵囲昆布の誕生
 昆布は、収穫後一気に天日で干し上げ、端を切り落とし、昆布の種類によっては幾重にも折りたたみ…と、結束(出荷に備え、荷姿に仕上げること)するまでに大変な手間と時間がかかっています。夏に収穫された新昆布が敦賀に届くのは、そろそろ雪が降ろうかという晩秋です。
 古来より冬季の積雪量の多い北陸では、冬に入るとかさむ荷をともなう旅は不可能でした。その為、敦賀で荷揚げされた昆布は、荷役蔵でそのまま越冬し、春になって出荷される事が多かったようです。
 さて、待つこと数ヶ月。冬の間、蔵に収納しておいた昆布をためしに口にしてみると、新昆布の持つ荒々しさ、磯臭さが良い加減に抜けて不思議と美味しい。蔵で寝かせるうちに、雑味は消え、昆布本来のうま味が際立ったのです。これが、「蔵囲(くらがこい)昆布」のおこりのようです。すなわち、蔵囲昆布とは、敦賀の気候条件を因として、必然的に誕生したものといえます。

 しかし、時を経るにつれ交通事情が良くなり、冬季の輸送も可能になると、蔵囲いの手法は廃れていきます。施設としての昆布蔵の整備や、在庫となる昆布の資金面での膨大な費用、長い年月昆布を管理する人の手間等を考慮すると、高額な昆布を「在庫」として持つことは、多大なリスクを抱えることになります。気象条件によってはカビが発生し、商品価値が無くなることさえあるのです。そのような事情から今では殆ど見られなくなりました。

 新昆布をありがたがるのは不粋。翌年、桜の花の散る頃まで寝かせてから―乾物としての昆布の食べ頃を昔の人は心得ておりました。昆布臭、磯臭さ、ぬめりを抜き、熟成を重ね、うま味を増す「蔵囲昆布」は、今でも京都を中心とする名料亭では生きております。

現代に生きる「蔵囲」
 昔ながらの土蔵では、梅雨時の管理が困難なため、弊社では温度・湿度等の庫内環境を自動調整できる近代庫、囲昆布専用蔵を備えました。産地から届く高級昆布はすべて、少なくとも1年以上の期間、蔵で寝かされます。
 昆布によってはさらに2年、3年、10年…とうま味を熟成させることもあります。
 ちなみに昆布の産地の最高峰、礼文島香深浜産利尻昆布は平成元年から毎年の昆布を囲い続けております。
 日光を遮断した昼なお暗い昆布蔵。空調設備が完備された、近代的な建築ということを忘れさせるのは、「わらで編んだむしろ」に覆われ、うずたかく積まれた昆布の姿です。
 ゆったりとした贅沢な時間の流れ、ひんやりとした空気、蔵内を包む昆布の香気の中に立つと、時を超えたような感覚すらおぼえます。ヴィンテージ昆布に囲まれた贅沢な時間と空間です。
 弊社では乾物の昆布といえども、生きているものとしてとり扱います。昆布は呼吸しています。湿気はもとより、煙が一番恐ろしく、あっという間に昆布は煙を吸い込みます。『火の用心』のお札をそこかしこに張ってあるのも、火の気に一番注意しているからです。



 専用昆布蔵の入り口1 専用昆布蔵の入り口2 
蔵囲昆布の専用蔵の入口



蔵囲(くらがこい)昆布のこだわり
 奥井海生堂が扱う昆布の中でただひとつ、蔵囲(くらがこい)の名が冠された、利尻昆布。こだわるのは、なかでも最高級とされる"島もの"―礼文島の香深浜産、船泊浜産、利尻島の仙法志浜産、沓形浜産―が、蔵囲いの手法に最も適しているという確信を持つからです。 昆布の形態や品質は、生育環境に大きく左右されます。そのため、最高の昆布を求めるためには、豊かな自然環境が必要不可欠です。海抜0メーターから、一気に標高1721メーターの高さを誇る利尻富士の裾野に広がる雄大な利尻島。対岸の、隆起して出来た島、礼文島。利礼水道に代表される、両島を取り巻く豊かな潮流。雄大な自然が立派な昆布を育てます。
 特に礼文島の海辺では、高地でしか咲かないエーデルワイスの一種、レブンウスユキソウやチシマフウロウ、ミヤマザクラといった高山植物が咲き乱れ、別名“花の浮島”と呼ばれる花の宝庫です。この島でしか咲かない北海道の天然記念物、レブンアツモリソウも、6月には群生して咲き乱れます。ミネラルたっぷりの海からの湿った霧が珍しい花々を育て、それが川となって海に流れ込み、立派な礼文島の利尻昆布を育むのです。
奮部地区の昆布収穫の様子
礼文島の花々

 もう一つ蔵囲(くらがこい)昆布で大切な事は、海から引き上げた昆布を、その日の内に一気に天日乾燥する事です。幸い、両島では昆布を干す、干場が広く整備されております。太陽天日乾燥される昆布の力で昆布を干すことは、昆布の品質を高めるため、古くから最重要視されてきました。天日乾燥された昆布は適当な水分を含み、それが時間をかけて熟成する要因といわれています。昔からのやり方が、昆布や乾物の世界では、今も一番大切なことです。


 世界的にも珍しい風土を持つ島、礼文島、利尻島が利尻昆布の最高峰、島物の利尻昆布を育てます。
 しかし、島物の利尻昆布とはいえ、収穫の当初からあのすばらしい味と香りを持つわけではありません。むしろ、他のどの昆布よりも荒々しく、野性味に富むのが島物の特徴。一年、二年、時には五年以上に及ぶ長期間の熟成を経ることで、珠玉ともいうべき昆布が生まれるのです。
 そして、長期間の熟成に耐えるのは上質の昆布のみ。力のない昆布を年単位で熟成せても、期待に応えるものはできません。二年蔵囲利尻昆布木箱入り-oku100-
 利尻昆布の中でも特に、別格浜に格付けされる香深浜産の昆布は、熟成を深めるにつれ、艶と黒味が増し、昆布臭、磯臭さ、雑味は消えて芳醇な香りを放つようになります。肥沃な大地と先人の知恵、多くの人の手と長い時間が生み出す、奇跡のような宝物です。

 【写真右】
  木箱入二年蔵囲利尻昆布 結納、結婚内祝に最適
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