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HOME > 昆布と食文化 > 和文化と食コラム : 北前船主の館・右近家



 2012年3月始め、温かい日差しと透き通るような青空に恵まれたあの日、「昆布と日本人」の執筆の決定と同時に、執筆者、弊社社長奥井とともに、まずは、この「北前船主の館 右近家」を尋ねた。
・・・
国の登録有形文化財というだけではない、この小さな海村のとりとめもない偉大な史実を多くの皆さんに是非、その目で確かめて頂きたい。

<昆布と日本人 (日本経済新聞出版社)  冒頭より>
昆布が日本を近代国家にした?
「昆布ロード」という言葉をご存知でしょうか?
江戸中頃から幕末、明治にかけて、当時の蝦夷地(北海道)で収穫された昆布が、北前船で日本海側から、京都・大坂の都に運ばれ、それが薩摩、琉球を経て、清(中国)まで届けられていました。その道筋を「昆布ロード」と呼んでいます。
 この大海原に帆をあげて、荒れる日本海を果敢に航行した北前船が、北の幸、昆布を運んできたことが和食文化の始まりかもしれません。



 「北前船主の館 右近家」は、江戸後期~明治中期にかけて、日本海・瀬戸内海・上方の諸地域間の物資の流通や文化の交流に重要な役割を果たした”北前船”をテーマとした資料館です。  
当館は、旧河野村の旧船主右近権左衛門家の12代当主が本宅等の管理を村に委ねられたのを機に、建物の公開と同家の廻船経営に関わる資料の展示を目的に、平成2年5月に開館しました。建物は、明治期に建てられた本宅や蔵、昭和初期に建てられた西洋館などからなります 。
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南越前朝 観光情報マップはこちら  http://www.minamiechizen.com/portals/0/kitamae/index.html
 

 
 
 ↑ 通りをはさんで建つ本宅と蔵
 
 回廊をゆっくり、ゆっくり歩いてみた。静寂の中で、歴史が深く深く刻まれた、このたたずまいからは、不思議な気配が感じられた。「板子一枚、下は地獄」と言われた危険と背中合せの船乗りの無事の帰りに沸く船主の館 その幸せな風景である。
 
 
平入りの2階建で、切妻造りの屋根には瓦が葺かれている。瓦は越前瓦で、棟先に「右近」の文字の入った丸瓦が置かれている。こちらは、中村家の鬼瓦。日本海5大船主の一つに数えられた当家だけあって、鬼瓦も細部まで手が込んでいる。
内部は、欅や桧材の太い柱や、米国産の松材を用いたと伝えられる平物、蝋色漆塗りの床框に象徴されるように、たいへん豪勢な造りになっている。  <南越前町観光マップより一部引用>
 



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