昆布と食文化

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HOME > 昆布と食文化 > ご寄稿文 : 向笠千恵子様「和の味覚は海の味」

奥井海生堂について ご寄稿文



和の味覚は海の味 フードジャーナリスト 向笠 千恵子 様

昆布は甘くて、しょっぱく、ほろ苦くて、磯くさい。いろんな味から成り立っているが、なんといっても旨味がすばらしい。○の素の主成分――グルタミン酸は元来は昆布のものなのである。
 昆布の値打ちに早くから気づいていたのは地の人々。からからに干して、折りたたむというコンパクトで長保ちする保存法を編み出し、大陸や内地の支配者との交易品に使っていた。今でも北海道は国産の九割を占める産地で、品質の点でも世界一である。
 蝦夷地の昆布を和人はことのほか珍重した。「よろ昆布(喜ぶ)」という具合に語呂合わせできるところから、神饌やお祝いごとに欠かせなかったし、料理の発達につれて昆布は高級だし材料として不可欠になった。
 それだけに、江戸時代になると藩が蝦夷地の浜を開発していった。松前半島近くから始まり、羅臼、日高と広がった産地は、最果ての利尻や礼文島にまで及んだ。
 昆布は北前船で京都、大阪へ運ばれた。さらに薩摩、琉球まで行き、中国にも輸出された。幕末の薩摩藩の資金は、琉球を中継した昆布貿易の儲けだといわれるほどである。この流通路がいわゆる昆布ロードで、船が停まったり、荷揚げの中継地になった土地には昆布の食文化が根づいたのである。
 その典型が敦賀。懐の深い良港のうえ、琵琶湖を渡れば京都へ至近だから、北前船の最大の昆布中継地として大発展したのである。今も昆布を扱う店が多いし、昆布の博物館まである。

●敦賀を支える職人の技
 ところで昆布は、だし材料になるだけでなく、削ってもおいしい。やわやわ、もわもわ、とろとろ――と、別の表情をみせる。おむすびをくるんでもいいし、お茶漬けにもよく、お吸い物にもなる。ご存知のおぼろ昆布やとろろ昆布のこと。かちんかちんの肉厚の昆布を酢に浸してやわらげたのちに包丁でていねいに削ったものである。
 酢に浸すと、マンニットという旨味と甘味を兼ね備えた天然成分を引き出す効果もある。マンニットとは、表面に吹き出した粉雪のようなパウダー。隠れファンの多い酢昆布はこの旨味を活用したおやつだし、おぼろ昆布やとろろ昆布の甘酸っぱい風味の秘密もここにある。
 そして、おぼろ昆布は敦賀生まれなのだ。蝦夷地の人々が昆布を海水で湿らせて削っているのを和人が見て、敦賀に伝えたらしい。
 おぼろ昆布をつくるときは、左手に昆布の端をもち、反対側の端を右足で押さえながら、右手にもった包丁を上下に猛スピードで動かして削っていく。優美に見えるが、とてつもなく激しい労働で、包丁の角度ひとつで、仕上がりが異なる熟練技術を必要とする。
 つまり――昆布は表皮こそ黒いけれど、芯は真っ白。そのグラデーションを使い分けるのである。①表皮を削った黒いもの、②その削り残しを剥いだグレーがかったもの、③芯の部分だけの純白のもの、④黒い部分を混ぜながら白い部分を剥いだもの、という四種類を職人がしゅっしゃっと削り分けるのである。
 以上はすべておぼろ昆布のバリエーションである。そして、削り残りをして断面を垂直に削ると、とろろ昆布ができあがる。また、芯の部分は鯖寿司に欠かせない白板昆布となる。ということは、削る部分によって食感は微妙に異なるけれど、どこをとっても同じように美味なのだ。
 昆布削りの包丁は切っ先をごくわずか折り曲げてあるのが工夫で、これは「アキタ」と呼ばれる。一説には秋田で考案されたからだそうだ。また、包丁は打ち刃物の名産地・堺のものだ。どちらも北前船ゆかりの港なのがおもしろい。
 現代ではおぼろ昆布職人の半分以上が敦賀にいて、昆布問屋も盛業である。原発を誘致して以来、他の産業は停滞してしまったというのに昆布関連だけは元気なのである。

●昆布商人が育む食文化
 敦賀の昆布隆盛の立役者は奥井海生堂四代目、さん。北大路魯山人も贔屓した老舗に生まれ、立教大学を出てから、敦賀に戻った。長男でもないのに家業を継いだのは、越前永平寺とのご縁から。
 永平寺は曹洞宗の大本山である。禅宗では食は命を養う根源であると教えており、料理づくりも修業の一つになっている。昆布は当然、精進料理の大切な食材。行事食や賓客のもてなしに用いるほか、菊の花をかたどった特別な細工昆布までつくって楽しむ。奥井さんは実家の取引先の永平寺に出入りするうちに、昆布をつうじて食の思想に目覚め、それを商売で実践しようと志したのである。
 奥井さんのお気に入りは利尻島の産のもの。だしはまったく濁らず、すっきり澄み、上品な旨味が出る。そのため、クリアな仕上げを好む京料理では利尻昆布を使うのが板場の常識だし、純白のかぶらを漬ける千枚漬にも、色のつかない利尻昆布は欠かせない。
 ただし、昆布は干せばそれでいいというしろものではない。「六十手数の折れ昆布」といわれるように手間ひまがかかる。乾かし、端を切り取り、蒸気をあてながら折り畳み、束ねるまでが漁師の仕事であり、五年から十年も寝かせて味を深め、頃合いをみて切り分けたり加工するのが昆布商人の仕事である。京都に御所お出入りの老舗が存在する理由もそこにある。
 昆布商人は、いわばダイヤモンドの原石を磨き、カットし、高貴さを付加する役割といえる。昆布商人が昆布の食文化をつくりあげたのだ。何年もかけて海藻の旨味を引き出したのは、海とは遠い彼らなのである。

●天然昆布を守る
 それだけに、わたしが今年の夏、礼文島香深浜で出会った風景からは、作り手と食べる側の距離の遠さが透けて見えていた。
 浜の番屋で見たのはうず高く積まれた干し昆布の山。養殖ものだそうな。昆布の耳を鋏で切り取っているのは出稼ぎフリーター。そして、天然昆布のほうは天日乾燥が条件だから、雨の日は出漁できない。漁師は「今年は雨ばかりでね」と、天を仰ぐばかりだった。
 私は奥井さんの言葉を反芻した。
 「昆布はワインと同じで、浜の立地や気象条件で、ピンキリの差がつくんです。だから産地と採れた年度が重要。利尻なら香深浜が最高だし、ビンテージは平成三年が一番」
 「異常気象や環境汚染で年々いい昆布が減ってますし、養殖ものばかり増えて、風味で優る天然昆布は風前の灯火。日本料理は昆布の旨味があって初めて味覚がととのう。大きくいえば、わたしは日本料理の正統を守るために、利尻昆布の最高品を買い占めるんです」
 あのとき、奥井さんにすすめられ、グラスの飲み物をいただいた。なんにも加えてない昆布だしであった。一晩ずっと水に浸けてとった――利尻の香深浜の一等検という最高級品のだしは、人間は海から生まれた生き物だという事実を思い出させる深さをもっていた。



     向笠 千恵子  様
  お    礼
弊社を何度か取材して頂き、又京都や金沢の取材の合間にもお立ち寄りを頂いております。又、先生の昔からのお知り合いの食品のメーカー様もご紹介頂き、大変お世話になっております。
 滋賀県や京都、若狭といった地方を良くご紹介されている先生は、弊社のある敦賀市のとなりまち、小浜市の御食国(みけつくに)の親善大使もつとめられています。地方の食文化のご紹介でも活躍されている先生は、私ども地方のメーカーには本当に有難く、常に元気付けて頂ける先生です。これからも地方のメーカーへ絶大なエールを送り続けて頂ける様お願い申し上げます。
 今回、ホームページに掲載させて頂いた『美しい国の美しい食 敦賀の巻 和の味覚は海の味』は『なごみ』(株式会社淡交社 刊)2004年12月号に掲載されたエッセイです。弊社のホームページへの掲載をお許し頂きました、向笠先生はじめ淡交社様のご関係者へ衷心より御礼申し上げます。
 奥井 隆         .
2008年来社時の様子 写真左が向笠千恵子様

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