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奥井海生堂について 掲載記事の紹介



港町から  特集 敦賀 「昆布とイタリア料理」 対談 株式会社 街から舎 発行

 昆布とイタリア料理  敦賀で育まれた伝統の味/京都で花開いた創造の味
 奥井 隆(奥井海生堂・店主) vs 笹島保弘(イル・ギオットーネ・オーナーシェフ)
                            司会・若井郁次郎(大阪産業大学教授) 

 古くから敦賀はコンブロードの中継地として、また昆布加工地として都の食文化を支えてきました。敦賀発の昆布の味、旨味は、今イタリア料理でもその本領を発揮し、多くの食通を魅了し、ファンを拡げております。
 敦賀昆布の老舗 奥井海生堂の店主であり、また昆布の語り部として全国を歩く奥井 隆氏と、京の食材を使ったイタリア料理店として現在超人気のイル・ギオットーネ・オーナーシェフ笹島保弘氏に、昆布とイタリア料理のおいしい関係について話し合ってもらいました。(2009年6月18日 於:イル・ギオットーネ)

若井 本日は対談にご出席頂き誠にありがとうございます。これから昆布とイタリア料理という、新しい意外な関係について、興味深いお話しが聞けるのではないかと楽しみにしております。
 奥井様は昆布を加工し提供する立場、また笹島様は、奥井様から提供された昆布を使ってイタリア料理に生かす立場にあり、それぞれ昆布に対する深い思い入れがあると思いますので、まず昆布の魅力についてひとわたりお願いしたいと思います。最初に奥井様からお願いします。

   ワインのテロワール、 昆布のテロワール……奥井

奥井 私どもは明治4年の創業から140年近く、私で4代目ですが、昆布だけで商売を続けてこれたというのはちょっと珍しいのではないかと思っております。それは京都の料亭を始めとした全国の料理屋さんとのお取引はもちろんのこと、明治の中頃からは曹洞宗大本山永平寺様の精進料理に採用していただくようになり、これまでやってこれたわけです。ですからこれまで同様、いいものを安定的に供給することが第一の使命であることには変わりありませんが、同時に時代の変化に合わせ、これまでの仕事に奥行きを付加していくことも大事かなと感じております。つい先だっても、北海道大学の昆布のことが大好きな先生が、昆布の森というのはまるで陸の熱帯雨林のようだ。光合成によってCO2を酸素に変えているし、海の生物を育むゆりかごの役割を果たしている、とおっしゃっていた。こんなことを聞くにつけ、私もいい商売を継がしてもらったかなと思うようになりました。ただ一方、昆布は非常に環境の変化を受けやすい一面もあり、だんだん生産量が落ちてきました。私が大学を卒業した40年くらい前は3万数千トンとれていたものが、今はその半分1万8千トン位です。
笹島 その原因は分かっているんですか。
奥井 やっぱり水温が上がってきている。それから海がやせて、磯焼けといって昆布をはじめ一切の海藻がつかないような海域もできたりしています。それと流氷の問題。流氷が北海道に入ると、昆布を殆ど壊滅的にかっさらっていきますが、海が掃除され、その後素晴しい昆布が生まれるんです。流氷の源、アムール河の栄養分も良い影響を与えているようです。
笹島 流氷はデメリットよりもメリットが大きいということですね。
奥井 ええ。だから入ってきて欲しいのですよ。だけど温暖化でどんどん来なくなってきています。
若井 お話をうかがっていますと、北海道の海の環境変化はかなり複合的に進んでいることがわかりますね。
奥井 ええ、そうですね。昆布はその影響をもろに受けているわけです。
 それから私、最近昆布の話をする機会が多いんです。笹島シェフの前ですが、昆布とワインという話をよくやるんですよ。ある研究者の話では、北海道昆布の出身地は極東ロシアで、そこのチジミ系昆布が釧路、根室あたりに渡ってきたのがルーツだって言われています。そこから海流に流されて日高に入って日高昆布。函館に行って真昆布。今度は日本海側に渡ると利尻昆布。さらにオホーツクから知床へ行くと羅臼昆布になる。これは、ワインの世界で言うテロワールで、そういう色分けができたら消費者にとっても非常に分かりやすいと思います。ワインは非常に厳格な格付けがありますが、実は昆布にもあります。最上級の昆布として別格浜という呼称がありますが、これは日高系にも利尻系にも、山だし系にもあります。別格浜、上浜、中浜、並浜というランクづけも行われています。海の中で2年間育つので、その環境による違いが出てきます。ヴィンテージみたいなものがあると思うんです。
笹島 奥井さんのところでは昆布を蔵囲いで熟成させていますからね。ワインと同じですね。
奥井 ええ。そういうことをいろんな料理の方々のお話を頂いたり、教えていただいたりしながら昆布の面白さっていうのを改めて感じております。

    “昆布締めカルパッチョ”で 伝えたいこと……笹島

若井 ありがとうございました。そういう昆布を笹島さんの方では、また違う意味で評価され、活用されている。イタリア料理シェフの立場から昆布の魅力についてお願いいたします。
笹島 イタリア料理と昆布って勿論何の接点もありません。イタリア人からすると昆布は縁遠いものです。ですが僕は京都でイタリア料理をやっているので、京都の材料を使ったり、日本の材料を使ったりしています。今、奥井さん、テロワールと言われましたが、その土地にはその土地の食べ方がある。例えば、京都だったらこの時期、蒸し暑くて食欲がないからハモを食べる。料理っていうのはその土地、土壌と完全に結びついたものなので、日本でイタリア料理をやるということは、イタリアとは全然違う環境の中で、その地の食材、僕だったら昆布だとか京野菜を使う、ということです。
若井 笹島シェフは京都でイタリア料理を始めた当初は、京都や日本の食材は絶対使うまい、と思っていたそうですね。ところが昆布や京野菜のおいしさに触れるにつれ、自分がおいしいと思うものを出すのが料理人の使命だと思うようになった、と聞いております。
笹島 ええ、そうです。それは遅かれ早かれ、あるいは僕じゃなくても誰かがやり始めたことなんです。それは必然なんですよ。その土地の材料を使う時に非常にすんなり行く材料はいくつかあるわけで、もし無理があったら絶対できないですよ。たとえばイル・ギオットーネは東京でも店を出していまして、京都から筍やハモを送ったりしていましたが、東京の野菜と合わさると、何かこっちで作るものと違うんですよ。昆布もそうです。用途によって日高がよかったり、真昆布がよかったりします。やっぱり何か素材というのはその土地との関係だと思うんです。それで最近では、お客さまのリクエスト以外はあまり送らなくなりました。
若井 笹島さんは本場イタリアでも昆布料理を紹介しておられますね。
笹島 セミナーとかで、料理や食材を紹介する時、何が恐いと言って、最初に何だこれは、何の味もしないよとか、おいしくないよという固定観念が入ってしまうことほど恐いものはないです。それで僕がイタリアでよくやるのが昆布締めです。それも魚ではなく肉でやります。
 イタリアは基本的には肉料理の文化で、カルパッチョにして生肉を食べる習慣がありますから、イタリア人と同じようにオリーブオイルを塗った上、さらに昆布で挟みます。そうすると、ただオリーブオイルと塩を混ぜただけで食べるよりはコクがあるということを何となく感じるんです。やっぱり食というのは文化ですから、その国の食文化に合致したところで紹介しないと拒絶反応が起きてしまうのです。
 もともとイタリア料理というのはアメリカ経由で日本に入ってきたものだから、僕らの父親とかの年代の人間にはしつこいという固定観念がある。でもその後、イタリアに行って本場の味に接してみると2日、3日食べても全然しつこくないし、日本人の口に合う。それでは今まで日本で食べていたイタリア料理ってのは何やったのか、ってことになるんですが、それはアメリカ人好みのピザだとか、ラザニアだったに過ぎない。時間はかかったけれど日本のイタリア料理は、日本人の海外(イタリア)旅行とイタリアで修行した日本人料理人によってようやく市民権を得てきた。それが第1ステージだとすると、今は第2ステージに入ったと思います。
 それは日本から発信できるような日本のオリジナリティのあるイタリア料理というのをそろそろやってもいい、という時代になった、ということです。その時に、じゃあ日本人の料理人としてのアイデンティティとして何を使うかというと、ちょっと前はやっぱり味噌や醤油だった。今は、それがゼロとはいいませんが、例えば盛り付けの感性とか、組み合わせの感性とかなんかこう、日本の文化っていいよなって言う、もっと丸ごとの文化が海外の人たちに評価されるようになった。その中で一つ、昆布というのは次のステージとして、昔の味噌や醤油と同じようにインターナショナルな評価を受けるのではないかと思っているのです。

    礼文と利尻で 日本一の昆布を買付けてきた……奥井

若井 インターナショナルな評価というお話しがありましたが、奥井さんのほうはフランスを中心に、昆布の普及に努めておられますね。
奥井 4~5年前から日本料理アカデミーが海外に行かれたり、海外の人をこちらにお呼びしたりしてますね。私自身は、昨年フランスに行った時、10年蔵囲いの昆布と5年物と2年物と新昆布と4種類持っていったんです。それで、ボルヴィックの水を使って料理人たちの前で実演しましたら、2年物が最も評価が高かった。その他は個性が強すぎて、自分達の料理に向かない。2年ものは使い易いという言い方をされたのです。私は昆布をそこまで踏み込んで評価する方がボツボツと生れてきているんだと感じました。
笹島 トレーニングされた舌を持っている三ツ星のシェフの方には、明らかにわかっているということですね。逆に僕ら日本人から見たら彼らは全然逆の発想するから、へー、そういうものにも使えるのかと思うこともあると思います。
奥井 ただ残念なことには、冒頭申し上げましたが、我が国の昆布自体の生産が落ち込んでおります。一方、それと裏腹の関係にあるのが中国の動きです。1960年代に日本の科学者が、函館から昆布の種を持って中国に渡って養殖技術を伝えた。それが今では中国の南の方まで広がって、何と一説には60万トンとか70万トン、日本の30倍、40倍の量を作っているらしい。それが今世界を席捲しているのです。
 ところが質に関しては、日本の我々が認める昆布ではない。函館の真昆布は2年生ですが、彼らは養殖技術によって6ヶ月でつくってしまいます。見た目には私でもだまされてしまう程ですが、匂いから味から全然違います。現在それが日本にどんどん入ってきているんです。昆布は保護貿易下にありますので、輸入量は一定枠ですが、半加工、エキスとか粉末とか、昆布巻きとかは無制限です。別段中国の物が悪いとは言いませんが、「昆布なんていい味がしない」と言う方に限って中国ものを使っているという現状もあるわけでして、これから世界へ普及していこうという時だけに困ったことだと思っております。
笹島 お話を聞いていると、海の環境がそれだけ変わってしまったということですね。もし温暖化とかが関連しているならば、恐らく関係していると思いますが、僕らも大いに関心をもたなければならない。温暖化は京都にいても感じます。たとえば雪です。市内が雪化粧、なんていうのは去年1度もなかった。僕らが来た20年ぐらい前は目の前の五重塔もきれいに雪が積もったものですが、今は見られません。
 僕らの世界で言えば、みなさんが京都の野菜はおいしいって言って下さるけれど、何年か前に較べると味がすっかり変わってしまって、あまり糖分を感じない。面白いですよ。焼くと分かるんです。糖分が多いと直ぐ焦げるんです。だから下手クソが焼くと直ぐ焦がしよるんですが、最近は下手でもあんまり焦がさない(笑)。
 それから昔、蕪だったら、生できれいに皮をむいてスライスしてお出しする。僕ら何が楽しいかって、お客さんから「梨ですかこれは」と聞かれて「いえ、蕪ですよ」って応える時ほど楽しいことはない。大概東京のお客さんは「えっ、これが蕪なんですか」と言って食べたものですが、今出すと「蕪ね」っていわれます(笑)。
 奥井さんのところの昆布にしても京野菜にしても、これからは日本料理だけで一杯だから、イタリア料理だとかフランス料理にはもうご勘弁、ということになってくるかも知れない。そうなったら使いたくっても使えない。そういう時代が目の前に来ていると。本当に恐ろしいことやなと思います。
奥井 永平寺の食事は、お経を唱えていただくんですが、その中に「彼の来所を量る」という文言があるんです。素材がどういう形で届けられたか、つくった人の苦労を思い知れ、という道元禅師のお話があるんだけれど、まさにそれですね。素材の提供はこれからは限られてしまうと思うんです。
 うちの昆布もはっきり申し上げて京都の方にお出しする同じグレードのものをお出しできない取引先も出てきます。これはもう限られたものなので、新しい取引先には、正直に申し上げております。今のうちの実績を言いますと、昨年礼文島で100%、利尻島で70%買ってうちの分をやっとまかなっております。もちろん天然昆布の話です。そして、それを買い占めるためにどれだけ労力を費やすか。この25年間日本一高い昆布を買い続けております。僭超な言い方ですが、これからは環境の問題でも知識を持つことが最低限必要でしょうね。

    日伊、異なる食文化が合体する時……笹島

奥井 私、今日お会いできるので、実は一つお聞きしたいことがありました。日本は島国で季節感があって、非常に乾物文化にたけている。その代表が昆布じゃないかとよく言われますが、イタリアにも乾物っていうのがあると思うんですよ。半島で海に囲まれていて。
笹島 そう、ただ残念なことに魚に対して彼らは干物という操作はしないですよ、昔も今も。僕、イタリアの調理場に入って仕事をしていたときに面白いと思ったのですが、彼らは鮮度がいい、いいとしきりに言うわけです。たとえば海岸の性質からパタパタパタパタと生きている手長海老を持ってきて、さくっと割ってそのまま鉄板に押し付けて焼いてい る。これではカチカチで、うまくもなんともない。生きたままだからアミノ酸が出ないわけです。でもそれが彼らの文化です。それに対し、塩ふって一晩おいて旨みを体内に引き出してから食べる。それが干物であり日本の文化です。一方、イタリアはトマトとか、きのことか野菜を干すことについては逆に日本よりすごいです。
 京の町でも、冬場割烹の台所をのぞくと大根とかニンジンとかがぶらぶらと吊ってある。
 一夜干しと同じ考えですね。野菜も干せば旨みが上がるってことを京都の料理人は皆知っている。イタリア人はもっとかりかりになるまで干して、それを水にもどす。すると戻し汁も旨みがある。僕なんかは京都とイタリアの文化を合体させて、何をやるかというと皮をむき、またヘタを落とす。それをビクに入れてぱりぱりになるまで天日で干します。それを使って昆布のだしをとると恐ろしくコクのあるだしが取れるんです。
若井 京都・日本の食文化とイタリアの食文化の合体とは興味深いお話ですね。
笹島 たとえば昆布のだしで麺をゆでます。スパゲッティって80%は水です。乾燥させた麺を水でもどしますからね。水がおいしいかどうかがものすごく大きいです。
 イタリアのスパゲッティというのはイタリアの硬水で練られているわけです。それを日本の京都の軟水でゆでてもイタリアと同じ味にはならない。だから水自体が大事。そこから水でたくよりは昆布を入れたらもっとおいしい。ソースも何もからめない時点でも麺自体がもうおいしい、というふうにしてしまうのです。
 アサリのパスタを作る時には、アサリの琥珀酸の旨みが基本ですが、それに昆布のグルタミン酸を与えることによってもっとおいしくしてあげようと思う。さらににんにくとオリーブオイルでしょう。ニンニクもアミノ酸のかたまりでオリーブオイルもアミノ酸の塊で、パスタをゆでる時に昆布だしでしょう。うまくないわけがない。料理ってそうなんですよ。美味しくないわけがないだろうってつくっていったら絶対にまずい物はない。まずい料理っていうのは、もうまずくなるようにつくっている。絶対やってあかんことをやっているからですね。
若井 一国の食文化と関わる大変奥が深いお話しでした。食文化を育てていくためにも最近よく言われる食育が大事ということになりますね。
笹島 食べものを扱っている僕らの仕事はものすごく責任重大。だって僕らの店でまずいと思ってしまったら次の店でもう食べないかもしれない。ちょっと大げさに言うと、その人の人生にも関わるかもしれない。僕は、それくらいのつもりでやれ、とよく言っています。
 それから、若い子らが料理が好きで僕らのところに入ってきている。その彼らがですよ、仕上げにマヨネーズをかけて食べたりするという現状があります。食育という子供のころからの教育と考えがちですが、そういうことじゃない。お母さんとかを対象にするべきなんです。料理時間がなければレトルトでもいいですよ。でもそれをチンするだけじゃなくて、そこにちょっと、だしぐらいはひいて、野菜の入った味噌汁をつくりなさいよとか、米はちゃんと炊きなさいよとか。その時にちょっと工夫して昆布だしで炊くとかですね。そういう食育を大人にやるべきなんです。
奥井 調味料の歴史でいうと、塩が5000年、砂糖が4000年、酢が3500年。「旨み」にしても書物に登場してから100年の歴史があります。でも料理店の中には出来上がったレシピに従って化学調味料で味つけするところがけっこうあります。実際、液状だしのおかげで出し昆布の売れ行きが落ちています。消費者にしても袋の裏側の賞味期限しか見ない風潮がある。日本の豊かな食材が生かされず、やはり食育の大切さを感じますね。食材や料理についてこれから発信していきたいですね。
若井 本日はおいしい話をたっぷり聞かせていただき、ありがとうございました。



朝日ミニコミ通信 NO.342  2010.5 川村二郎の食歳時記         .

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