昆布と食文化

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HOME > 昆布と食文化 > ご寄稿文 : 小倉エージ様「敦賀と蔵囲昆布」

奥井海生堂について ご寄稿文



敦賀と蔵囲昆布  音楽評論家 小倉 エージ 様

Ⅰ、
  だしは日本料理の命である。だしを抜きにして日本料理は語れない。
 吸い物碗では堂々と主役を張り、煮炊きものでは脇にまわって素材を引きたて、旨味を添える。中でも、世界中の暖流を駆け巡り、温かい南の海から日本の沿岸にたどりつく鰹を、煮て、燻して、黴をつけ、天日に干された本枯節と、厳寒の北の海に育ち、天日に干された昆布が生みだす極上のだしこそは、日本の美味を語るに欠かせない。
 さて、鰹節なら薩摩の山川、枕崎、土佐の高知、静岡の焼津、伊豆。鰹がやってくる南の海からの暖流沿いの港町で、それぞれに特徴ある逸品を見い出せる。しかし、絶品の昆布を求めるとなると、昆布の主要な産地である北海道よりも、福井の敦賀に目が向く。
 それにしても、どうして福井の敦賀なのか。
 その昔、昆布は大和朝廷への献上品として北海道から海路で日本海の各地を経て京の都
へと届けられたという。後の北海道、及び、東北の物産を北陸、さらには山陰、山陽、四国、関西へと運ぶ後の松前貿易、北前船の発端となったものだが、敦賀は小浜とともに昆布の主要な荷揚げ港となり、昆布は京の都へと運ばれた。京の都にあった禅宗の寺院の需要に応えてのことである。
 そもそも日本料理は禅宗の寺院における精進料理を下敷きに確立したとされるが、その発達に貢献したのが京の禅宗の寺院であり、精進料理に欠かせなないのが昆布であった。そして、鎌倉時代になって仏教信仰が盛んになるとともに、精進料理の風習は徐々にひろまり、室町時代には広く一般化する。昆布でだしをひく風習が上方を中心に一般にも広がり、昆布をはじめとする海藻の需要は増していく。
 以後、松前潘の誕生を契機に蝦夷との交易が盛んとなり、江戸時代初期には敦賀にも昆布商が誕生した。その後、蝦夷から下関、瀬戸内海を経て大坂(現在の大阪)に達する西回りの航路が開発され、敦賀は打撃を受けたこともあったが、近江商人の存在もあって小浜をしのぐ昆布の荷揚げ港となり、昆布の加工も盛んとなった。ちなみに、一八世紀半ば頃、若狭の昆布は日本の山海の名物のひとつに数えられるまでになっていたほどだ。
 敦賀は昆布の街としての古い歴史がある。昆布の流通の拠点こそ大阪に移ったが、昆布の街としての伝統は今も受け継がれ、おぼろ昆布、とろろ昆布、細工昆布の生産量は、日本一を誇っている。しかし、それだけではない。敦賀には昆布を蔵に囲い、じっくり寝かせ、その旨味を熟成させた「蔵囲昆布」がある。それこそ敦賀の昆布を代表する極上の品である。
 その昔、敦賀に昆布が届いたものの雪が降り積もり、当時、輸送手段もなかったことから昆布はやむなく鰊蔵に保存された。翌年、鰊蔵から取り出された昆布からは、ことのほか旨味、コクのある風味豊かなダシがとれたという。「蔵囲昆布」はそんな風にしてはじまった。その伝統を今も受け継いでいるのが敦賀の奥井海生堂「蔵囲昆布」である。

Ⅱ、
 昆布の産地は北の海。その大半が北海道の沿岸で収穫される。
 その種類、銘柄は、およそ十種。そして、六つの産地がある。
 そのうち、だしとして使われるのは、「真昆布」、「利尻昆布」、「羅臼昆布」、「日高昆布」の四種である。
 「山だし昆布」として知られる「真昆布」の産地は、道南の函館から茅部にかけて、渡島半島の沿岸に連なる本場折浜、黒口浜、白口浜などだ。「山だし昆布」の通称はかつて道南で収穫された昆布が山を越え、集荷地の函館に運ばれたことに由来する。「利尻昆布」の産地は、北海道の最北端、利尻島、礼文島に加え、稚内を中心に、西は留萌、東は紋別あたりまでの北海道道北の沿岸まで、広範囲にわたる。「羅臼昆布」の産地は知床半島の羅臼町沿岸、「日高昆布」は襟裳岬を中心に、室蘭から白糠あたりまでので道西部から道東の南岸で収穫される「三石昆布」の一部であり、日高地方沿岸で収穫される昆布の通称である。
 そして、昆布は収穫される場所によって品質が異なる。生育する浜によって明確に品質の差が現われる。岸で採れたか、沖で採れたかでも、大きな違いがある。それを浜格差という。
 たとえば「山だし昆布」。その最上級にランクされるのは白口浜、中でも尾札部、川汲産の元揃い昆布だ。ついで、黒口浜、本場折浜の順になる。
 「利尻昆布」が収穫される場所は実に広範囲にわたり、そのうち、利尻島、礼文島で収穫されたものは「島もの」、稚内を中心に留萌から紋別にかけて収穫されたものは「地方もの」と大きく分けられ、さらに細かく区分されている。
 ちなみに「利尻昆布」で最上級にランクされているのは礼文島の香深産のものである。
「羅臼昆布」は、知床半島先端で取れる黒口を最上級とし、次いで、赤口、縞昆布がそれに続く。
 「日高昆布」は「三石昆布」に準じて特上浜、上浜、中浜、並浜とランクつけされ、それぞれA、B、Cというランク付けがある。そして、「日高昆布」の特上浜は井寒台浜、上浜は近笛、冬島、平宇浜、歌別浜となっている。

Ⅲ、
 採れた浜、その場所によって昆布を区分けする浜格差の話は、ワインと葡萄の産地との関係によく似ている。
 「昆布を見るなら、海よりも、その土地の山を見よ」。
 奥井海生堂の四代目のご主人、奥井隆さんは父親からそう教わったという。「良質の昆布が採れるのは、決まって浜の背後に木の生い茂った山があり、清らかな川が海へと流れこんでいるような、豊かで雄大な自然に恵まれたところなんですね。しかも、良質の昆布を産出する土地の風景は、どことなく似ているものです。昆布はそれほど自然の環境が形や品質に現れる微妙な生物なんです。入荷してくる昆布を見れば、その土地の風景が目に浮かぶんです」と、奥井さんは語る。
 毎年、昆布の収穫期である夏、北海道に散在する収穫地を巡って約二千キロの旅に出るという奥井さんの言葉だけに説得力がある。
 奥井さんがはじめて昆布の故郷の北海道に旅したのは二十年あまり前。その時訪れた利尻島や礼文島で敦賀や富山など北陸の地名にちなんだ屋号を看板にする店を見つけ、その絆の深さに感慨を覚えたと言う。そんなこともあって昆布の魅力にとりつかれた奥井さんは「自分の目で確かめた良質の昆布を扱いたい」と、現地との直接取り引きをはじめた。
 とりわけ奥井さんが魅せられたのは、利尻島、礼文島で採れる「利尻昆布」の「島もの」、中でも、礼文島の香深産のものだ。「おおらかな自然と美しい海に育まれた昆布なんです。背後の山、流れ込む河川、水温、陽射し、隆起火山による金属質の土壌、汐の流れが、力強くて精の強い昆布を産出するんです。頑丈で、風格のある立派な昆布なんです」。

Ⅳ、
 昆布採りは孤独な作業だ。漁場に急ぐためのエンジン付きの小船のひとり乗り込み、出漁の旗が上がるのを待つ。旗が上がり、いざ漁場に赴けばエンジンを止め、小船を洗う波音以外聞こえない静寂の中、両手で棹を持ち、方形のガラスを仕込んだ箱眼鏡をしっかりと口にくわえて水中に沈ませ、片足で魯をあやつりながらこれぞという昆布を探し出し、狙いを定める。そして、棹を昆布の根元に差し込んで一捻り。老練な漁師は、これぞという昆布だけに狙いを定める。若い漁師は力まかせに何本もの根元をこそぎよせる。そのずしりと重い手ごたえを海中から掬いあげ、小船に投げ入れる。限られた時間の中で、そんな作業を繰り返すのが昆布漁である。
 礼文島の香深の昆布の収穫はほぼ毎年7月半ばに解禁となり9月頃まで行われる。しかし、その初漁の日は毎年変わる。というのも、初漁にふさわしい日が選ばれるからである。
 礼文島の香深では、収穫した昆布は、天日に干される。それが昆布の旨味や風味を増す。しかも「だしが濁るから」と、天日干しにこだわり続けているからだ。北海道も産地によっては都市化が進み、環境問題などに加え、天日干しの場所の確保が問題となり、人工的な機械乾燥を強いられることも少なくない。それだけに天日干しの昆布は今や貴重なものとなりつつある。
 礼文島の海沿いの道を巡ると、浜と道路の間に砂利を敷き詰めた昆布の干し場がいたるところで目に付く。「利尻昆布」、それも「島もの」の端がいびつにくねっているのは、昆布の干し場で天日干しにした証である。収穫の時期には砂浜の一画に、腹を割いて開いたうなぎのように、昆布がびっしりと並べて干されている。それも海中では黒味を帯びていた昆布が、天日に干されると次第に赤味をおび、褐色がかったものへと変化していく。
 もっとも、収穫した昆布を天日干しにするには、天気が晴れているというだけでなく、空気が乾燥していなければならない。そうした気候条件に加え、初漁の日は、礼文島の東と西の浜が同じ条件で出漁できること、という不文律が守られ続けている。
 縦に細長い礼文島の半ばから南に位置する香深は、東の浜と西の浜では気候条件がまったく異なるからである。育つ昆布の資質も微妙に異なる。ともあれ、およそ24キロに及ぶ香深の浜の気候条件を満たして、はじめて初漁の旗が挙がる。
 初漁だけでなく、常に収穫した昆布を天日干しに出来る気候条件を選んで出漁の旗があがる。とはいえ、急激な気候の変化もあり、出漁の旗があがってからわずか15分か30分ほどで、収穫が中止されることもある。天日干しにするには十分な晴天が望めないとわかれば、収穫した昆布は浜には引き揚げず、そのまま海中に寝かせておくこともある。

Ⅴ、
 秋の終わり頃、礼文島の香深から敦賀に運ばれた利尻昆布は、むしろに包まれ、光りや外気を遮断する厚い壁を持ち、一定の湿度が保たれた特別な蔵の中で、最低で一年、長いもので二年から三年、じっくり寝かされる。「利尻昆布の場合、採れたての新物でだしをひくと、精が強くて独特の昆布臭さがでるもんなんです。「蔵囲昆布」は、頑丈な天然の利尻昆布、真昆布だけに可能なことなんですが、特に香深の昆布は寝かせると飴色がかった黒褐色の色あいが、枯れて深みを増し、旨味も熟成される。コクがでて、風味も増すんです」。 天日で干され、旨味を増した昆布は、それで命をまっとうするわけではない。光と外気を遮断し、ほどほどの湿気が与えられれば、昆布は生き続ける。安らかな睡眠をむさぼりながら、熟成をとげていく。だからこそ奥井さんは「蔵囲昆布」にこだわり、取り組み続けてきた。
 一年寝かせれば、安定した旨味、風味が得られる。二年、三年寝かせれば、ますます旨味と風味を増す。とはいえ、収穫した年によって頑丈さ、旨味、風味は微妙に異なるものだ。それだけに、素材を見極める目も問われる。素材を見極め、蔵の中で寝かせ、手塩にかけて昆布を育て上げる。それは実に地道な仕事である。「昆布は二年かかって海の中で育ち、収穫され、天日に干され、一年から三年、蔵に寝かされ、だしにひかれて一瞬でその役目を終えてしまいます。ほとんどは黒子、裏方として一生を終えてしまう地味な存在なんですね。そんな儚さにどこかひかれるものがあって……なんだか、日本人的な美意識にも通じるものがあるんじゃないかなって思うんです。だからこそ、命がけで「蔵囲昆布」を守っていきたいんです」。
 淡々とした語り口ながら、昆布にかけるひたむきな情熱、昆布への愛着、とりわけ「蔵囲昆布」にこだわり続けた誇りや自信とともに、古来の伝統をなんとしてでも守り続けたいという意気込み、使命感が汲み取れる。男のロマンを感じさせる話ではないか。

Ⅵ、
 昆布といえば、見た目に黒く、厚いのが良い昆布、という認識が一般に浸透している。
 最良の昆布が収穫されるのは夏、それも七月から八月はじめにかけてのことで、その時期に収穫されたものは「走り」、八月の終りから九月にかけて遅く収穫されたものは「后採れ」と呼ばれる。そんな「后採れ」は、厚く、黒々としていて、見た目こそ立派だが、成長を遂げすぎたものだけにだしの出も悪く、アクも強い。
 それに対し「利尻昆布」、それも香深産の「走り」の昆布は、飴色がかっているものだ。それに蔵で寝かせ続ければ次第に赤味を帯びていく。
 そして、昆布には産地ごとにそれぞれに特徴や持味があり、用途に応じて使い分けられている。
 古来、昆布の王と語られ「山出し」として大阪の人々に馴染み深い真昆布、その最上級にランクされている白口浜、中でも尾札部、川汲産の元揃い昆布は、上品な甘味を持ち、噛めば噛むほど滋味深い味わいがある。だしは清澄で、皮や芯が少ないことから、塩昆布やおぼろ昆布ににも使われる。黒口浜で採れるものは風味がよく、澄んだだしが出る。本場折浜のものは、それよりも淡白でクセがない。
 真昆布と同じ種類ながら、育つ環境が異なることから旨味、風味が異なるのが「利尻昆布」だ。とくに利尻島、礼文島で採れる「島もの」、中でも礼文島の香深のものは、独特の芳香があり、くせがなく澄んでいる。そんなことから、香深産の昆布は京都の料理人に評価が高い。また、湯豆腐や千枚漬けなどにも使われる。
 「羅臼昆布」は、色は褐色で、葉幅が広く、大柄だが、肉は薄い。繊維質がやかわらかで、しっとりした口当たりを特徴としてしている。昆布の中では最もコクのある濃いだしがとれ、醤油や味噌の味わいにも負けない深い味わいがある。が、だしにとると黄色味を帯びていることから、煮炊きものに使われることも多い。
 「日高昆布」は、色は緑褐色で、繊維質がやわらかく、煮上がりが早いことから、野菜との炊き合わせや昆布巻きに使われる。関東ではおでんのだしとして馴染み深いのが「日高昆布」だ。


 奥井海生堂の「蔵囲利尻昆布」は、クセのない澄んだだしがとれる。
 凛としていて、雄々しく、力強くしなやかな張りがある。風味が豊かで、独特の気品、品格がある。実直で頑丈な昆布だ。それだけにすぐさま花開くわけではない。ちょうどヴィンテージもののワインを味わうにはデキャンタし、ブリージングさせながら花開くのを待たねばならないように、「蔵囲利尻昆布」の持味、本領を発揮させるには、然るべき方法をとらねばならない。
 最良の方法は水出し。真水に浸し、ひと晩寝かせ、旨味が出るのをひたすら待つ。
 もっとこだわるなら、一年囲い、二年囲い、三年囲いと、蔵で寝かせた年の数と、採れた年度を見極め、水に浸す時間を加減する。そのために、効き酒ならぬ、効き昆布が必要だが、昆布の端っこをコップに浸し、ひと晩寝かせ、按配をみればいい。
 そして、料理に合わせてワインを選ぶように、料理に合わせて昆布を選ぶ。
 力強くて張りのある椀物が食べたい、クセのない澄んだだしが欲しいと思えば、「蔵囲利尻昆布」だ。それも、採れた年と、一年、二年、三年と、蔵で囲われた年月にこだわり、それを見極めてから真水に浸し、ひと晩寝かせ、旨味が開くのを待つ。
 まろやかな味わいが欲しいのなら「山だし」、コクのある力強い旨味がほしいのなら「羅臼昆布」がいいだろう。
 ひと晩寝かせる、と聞いただけで面倒がられるかもしれない。いや、寝床につく前、水を張った容器に昆布を入れ、冷蔵庫にしまっておけばいいだけのことである。それを忘れたとしても、朝食の仕度の片手間に出来ることだ。
 いざとなれば、食事の下拵えの間、ニ~三十分、鍋に入れておくという方法ある。 しかし、「蔵囲利尻昆布」や「山だし」、「羅臼昆布」を、そんな風に使うのはもったいない。そんな時には、むしろ煮上がりの早い「日高昆布」を使うのが得策だ。
 手間隙かけて育てられ、安らかに眠りをむさぼり続けてきた「蔵囲利尻昆布」などは、ゆっくり時間をかけて昆布を目覚めさせ、持味を引き出し、その本領を発揮させるのに限る。
 煮物には、水出しにした「羅臼昆布」を用意する。その準備がなければ、いきなり「日高昆布」を鍋にしのばせる。
 昆布の資質、持味を見極め、使い分ける。昆布が日常の生活にあれば、それはたやすい。昆布を知れば、そして、昆布にこだわればこだわるほど、それが楽しみにもなってくる。料理の腕の見せ所にもなって、ついつい講釈をふるいたくなるものだ。

Ⅷ、
 本来は懐石の八寸に使われる真昆布を細工した「松葉結び昆布」、吸い物の碗種や煮付けにふさわしい道南の昆布を細工した「黒結び昆布」も、もてなしの宴だけでなく、工夫次第で日々の食卓に役立てられる。味噌汁のために素早くだしを取りたいというのなら、臓を取り、煎っただしじゃことともに「松葉結び昆布」や「黒結び昆布」を真水を張った鍋に放つ。素朴で力強く、くせのあるだしじゃこのダシに、まろやかな旨味が加わり、奥床しくて上品な味わいになり、風味を増す。「太白おぼろ」、「おぼろ昆布」、「とろろ昆布」を碗によそい、醤油を落とし、お湯をぶっかけて作る即席の椀物は、寝ぼけ眼で時計を横目でにらみながら御飯をかっこんだ子供の頃の慌しい朝食の思い出が蘇る。関西に生まれ育ったものなら、誰しも覚えのある話なのに違いない。
 昆布は煮出しや炊き合わせだけでなく、魚を〆めるのにも欠かせない。漬け物に昆布を入れれば味が引き立ち、旨味が増す。
 精進料理に欠かせない昆布の揚げ物も、風味ゆたかな一品となる。 かように昆布の用途は幅広く、多岐にわたる。毎日の料理に欠かせない素材である。それに、昆布を知れば知るほど、その奥深さが手に取るようにわかるものだ。
 その昔、台所の棚に並んだ缶の中に、昆布は必ずあった。日本の家庭では、しごくありふれた日常の備品だった。
 そして、今、食にこだわりを持つ人々の間で、改めて昆布の存在が見直されつつある。
 私の友人には、すでに「蔵囲利尻昆布」のエイジングやヴィンテージを語る人がいる。
 心ときめく話ではないか。それでなくとも、「蔵囲利尻昆布」、「山だし」、「羅臼昆布」、「日高昆布」、様々な結び昆布や「おぼろ昆布」、「とろろ昆布」が台所の棚に並ぶ光景を眺めているだけでも、心和む。なによりも、心豊かな気分で満たされるのが嬉しい。 



     小倉 エージ 様
  お    礼
もう15~16年前になりますか、小倉様ご夫妻の共著「香港的達人」に影響を受け、香港の「福臨門」へ家内や友人と出かけた折、偶然にもご夫妻をそのレストランでお見受けしました。その後、東京のホテルオークラで確か、柴田書店のご関係のパーティーでご一緒させて頂き、どなたかのご紹介でお目に掛かったのが、最初だと記憶しております。以来10数年、弊舗の昆布へのご贔屓同様、私共家内共々、大変お世話になっています。
2001年1月号の雑誌『ダンチュウ』の特集記事「旨味の源 昆布を究める」の礼文島3泊4日の取材旅行をご一緒させて頂き、香深昆布の昆布漁をご案内させて頂いた折の事、懐かしく思い出します。
『ダンチュウ』の記事中の写真が昆布ではなく昆布を養生する「むしろ」にうずもれて、お撮り頂いた小倉様と私の写真が大層評判になった事をお聞きしました。詳しく『蔵囲昆布』をご紹介頂き、大好評を博しました事有難く、又懐かしく思い出されます。
今回は特に弊舗の蔵囲昆布のエッセイをお願いしました所、御丁寧な、又、長文をお寄せ頂きました。北海道の礼文島での事や、敦賀での事、本当に詳しくお書き頂きました。改めて読ませて頂き、本当に多くの方々に支えられた『蔵囲昆布』をこれからも大切にまもり続けていかなければならない、新たな覚悟が湧いて来ます。
有難く読ませて頂きました。衷心より御礼申し上げます。
 奥井 隆         .

dancyu [ダンチュウ]  2001年1月1日号 p145 -旨味の源「昆布」を究める- にて


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