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HOME > 昆布と食文化 > ご寄稿文 : 中川一辺陶様「これをあげたい」

奥井海生堂について ご寄稿文



これをあげたい!【160】奥井海生堂の蔵囲昆布  雲井窯 中川 一辺陶 様

  今から13年程さかのぼりますが、六本木ヒルズで行われたあるイベントへの参加の機会を得、私は生まれて初めて完成された昆布に出会いました。
 1年熟成、5年熟成、10年熟成、蔵囲いの利尻昆布です。
 イベントでは前日から昆布を水出しにし、当日それぞれの熟成具合の味比べを実践します。
   ワインや日本酒を数年熟成させると味が変わることは知っていましたが、昆布の熟成は初めてで、10年もの間の管理は大変なことと想像します。カビの発生や味の変化にも随分苦労を要することと思います。
   日本食は引き算の文化で、出汁は舌に残る繊細さが命と言いますが、実に日本の昆布出汁の威力を再発見させられたイベントでした。
   この懐の深い味を支える主は、福井県敦賀市に蔵を構える『奥井海生堂』の奥井隆さんです。
 江戸時代中期、北海道で収穫された昆布は北前船で敦賀に着き、琵琶湖の帆船に積み替え、50石船で淀川を下り、大阪の昆布問屋に卸されていました。直行で輸送できる現代でも、敦賀経由ルートは健在なのです。  不漁や海が荒れて届かなかった年もあったと思いますが、奥井海生堂では安定し、遅延なく関西に届けるために蔵で囲い貯蔵する方法で、今も大切に昆布は保管されています。
 その後、敦賀の蔵を尋ねた折には、靴底からの雑菌の侵入を防ぐためエレベーターまで畳を敷き、湿気を嫌うため土足厳禁にして管理されていたことに驚きました。
 和食がユネスコ無形文化遺産に登録された現在、出汁文化を守るハイレベルの中枢を、奥井さんが支えていると言っても過言ではないと思います。
 お料理人は昆布やカツオの質がブレないことがとても大切で、自慢の出汁をひき、食通の舌を満たします。
 奥井さんはいつもそのプロの変わらぬ味の提供元であり、これからも無二の昆布を求め、料亭の味のサポートの立役者であり続けて頂きたく思います。
 そして、和食が世界に広がっていく過程で食材や調理技術はもとより、調理道具に至るまできちんと継承されて伝えていくことがとても重要だと痛感しています。
 私も、職業柄お料理人さんとの関わりが深く、夫々の料理の味を保つため土鍋という題材に日々奮闘の毎日です。  また、土鍋を作る粘土を石室で寝かせることで粘り気と密度の均一性を図り、プロ使いに堪える堅牢さを得る手法を身に付けました。
 願わくは、無二と呼ばれる作風の域に近づいて参りたく思います。
 奥井海生堂の蔵囲い昆布を大切な人に贈ります。
中川一辺陶
雲井窯九代目
NPO法人和の学校会員

1956年生まれ。〔1980年代〕京都老舗すっぽん料理店の土鍋の研究を始める。京都老舗料亭の御飯炊き土釜を初めて製作。土鍋全体を覆う全面釉薬の完成。〔1990年代〕雲井窯 九代目 中川一辺陶を襲名。おくどさん(かまど)の製作を始める。東京日本橋髙島屋にて日本で初めての土鍋のみの個展を開催。〔2000年代〕電磁調理専用土鍋の完成。セラミックコーティングの技法完成。辻調理師専門学校の外来講師を始める。〔2010年代〕ダイヤモンドの焼き付け焼成技法の完成。https://www.kumoigama.co.jp/


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