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HOME > 昆布と食文化 > ご寄稿文 : 土井明様「これをあげたい!」

奥井海生堂について ご寄稿文



これをあげたい!【162】奥井海生堂の蔵囲昆布  土井明 様


 敦賀出身のAクンとは、学生時代からの親友です。
「君んちは何か商売しているの?」と尋ねると、「菓子を売っている」との答え。それがそもそもクイ違いのもとでした。
 私が家業の料理屋を継ぐハメになって10年程して、Aクンから「弟が家の商品を使ってもらえないかと言っている。会ってほしい」との電話がありました。持ってきたのは、背負い籠型に編んだ昆布でした。
『奥井海生堂』という昆布屋さんだとわかったものの、細工昆布は使いにくいとお引き取り願いました。
 数年後のこと、当店出身の料理人・丸山由桜クンが昆布を送ってきました。『奥井海生堂』の文字。
 どうしてここを知っているのかと問うと、「良い昆布を求めて日本中をさがし、行き着いたのが『奥井海生堂』だ」と言います。
 出汁をとってみると、なるほど良い。Aクンの弟・奥井隆社長に「ウチへも納品してもらえないか」と恐る恐る電話すると、敦賀へ来てほしいとの答え。昆布を熟成させる蔵を見せてくれました。
 お菓子を売っていたのは「昆布が売れない時、苦し紛れに落雁を作って売っていました」とのこと。「店が持ちこたえられたのは、ずっと昆布を納品させて戴けた永平寺のお陰です」と。
 老舗昆布店ながら、苦境の時代、長男さんも、次男Aクンも家業の先行きに不安をもってしまって跡を継がず、三男の隆氏が仕方なく復興に尽力したというわけです。
 昆布漁の時期が来ると、北海道の海岸線をクルマで走り回ると言います。各浜の漁師と良い関係を築くために、永い時間をかけて苦労されたようです。
当店との取引が始まった頃から『奥井海生堂』の昆布は評判となり、百貨店はじめ一挙に日本中に広がりました。今や日本一と言えるでしょう。
 「不許葷肉(または葷酒)入山門」<葷肉(葷酒)山門に入るを許さず>の文字を掘った石碑が、曹洞宗の永平寺、臨済宗や天台宗など古い仏教寺院の入り口に立っています。
 出汁に動物性のカツオ節を使いません。昆布と塩だけで出汁を作ります。それだけに良い昆布が厳選されてきました。
 良質昆布だけの出汁で素うどんを食べてみて下さい。本当の味がわかります。
 いま、コロナ禍で中止していますが、当店では「日本料理味覚伝承プロジェクト」を数年行ってきました。小、中、高校生が日本料理の本物の味に感動されるのを見て、こちらが逆に感動しています。若い時の味の記憶は心に刻まれます。大切です。
 『奥井海生堂』の「蔵囲利尻昆布―木箱入り」は簡易食品があふれる時代、贈り物にすることで、先方様のご家庭に、本物の味を届けることにつながります。
 出汁を取る水は、井戸水を使って下さい。神社などの湧き水を汲んでくる手間をかけましょう。煮出して沸騰する前に昆布を上げる方法と、水に一晩漬けておく方法があります。できれば両方試してみて下さい。
 当店では、精進料理のご希望以外は、カツオ節も加えます。料理の工夫は、それぞれの家庭の味になります。送り先に面倒を押しつける懸念をもたれる向きもあるかもしれませんが、上質昆布は最高の贈り物と言って良いと思います。
 インターネットで注文・贈答もできます。『奥井海生堂』で検索してみて下さい。

土井明
『祇園土井』代表取締役
NPO法人和の学校会員

1944年京都市東山区八坂鳥居前下河原に生まれる。68年料亭『高台寺土井』に就職。69年代表取締役就任。2017年高台寺から祇園新門前に移転。同時に『祇園土井』に商号変更。「日本料理味覚伝承プロジェクト」の企画や若い料理人の育成に力を注いでいる。 https://www.doy.co.jp/


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